Download on the App Store

インフルエンサーの影響力は若者の価値観形成にプラスか?

開会の主張

肯定側の開会の主張

皆さん、こんにちは。
私たちは本日、「インフルエンサーの影響力は若者の価値観形成にプラスである」と主張します。

まず、この議論の核心は、「価値観とは何か?」という問いにあります。価値観とは、単なる好みではなく、「自分がどう生きるべきか」「何を大切にするか」という人生の羅針盤です。そして今、その羅針盤を形作るうえで、インフルエンサーはかつてないほど重要な役割を果たしています。

① 多様性の灯台としてのインフルエンサー

かつてのメディアは、成功=東大→大手企業→結婚、という一本道を描いてきました。しかし、今の若者が目にするインフルエンサーは、LGBTQ+の当事者、引きこもり経験者、障がい者アーティスト、地方で農業を営む若者……と、実に多様です。彼らの存在そのものが「あなたの生き方にも価値がある」というメッセージを発信しています。

心理学のマズローは、「承認の欲求」を人間の基本的ニーズとしました。インフルエンサーは、マジョリティに包囲された若者に対し、「あなたは一人じゃない」という承認を与える、現代の灯台なのです。

② 社会意識を育てる“日常の公民教育”

昨年、あるティックトッカーが「気候変動への個人の責任」について60秒の動画を投稿しました。再生数は1,200万回。コメント欄には「今日からビーガンになる」「服の買いすぎをやめる」という声が溢れました。

これは偶然ではありません。インフルエンサーは、教科書のように「こうしなければいけない」と押しつけるのではなく、「私の暮らしはこうです」と共感ベースで価値を伝える。だからこそ、若者は「学ばされている」のではなく、「気づかされている」のです。

③ 批判的思考のトレーニング場

もちろん、インフルエンサー全員が信頼できるわけではありません。ですが、それこそが教育的です。若者は「この人は本当にお金持ちなの?」「スポンサーの宣伝かも?」と自然に疑問を持つようになります。これは、メディアリテラシーの実践そのものです。

昔は「新聞=真実」と信じていた時代もありました。今は「インフルエンサー=全部ウソ」でも、「全部ホンモノ」でもなく、「自分で判断する」文化が生まれつつある。これは大きな進歩です。

④ 新しい“英雄像”の提供

ヒロインは、アニメじゃなくYouTubeにいる。彼女は起業して年商1億円、でも毎日スウェット姿。彼はADHDだと公表しながら、ユーモアで世界中の笑顔をつなぐ。

こうした人々は、「特別な誰か」ではなく、「努力すれば届きそうな誰か」です。フロムが言う「所有することより存在すること」――ブランドじゃなく、ありのままの自分に価値を見出す生き方を、インフルエンサーは体現しているのです。


最後に。
インフルエンサーがすべて善だと言っているわけではありません。問題もある。でも、影響力の本質は中立です。火は家を焼くこともあれば、ご飯を炊くこともあります。私たちがすべきは、火を恐れるのではなく、使い方を学ぶこと。

若者たちは今、インフルエンサーという“鏡”を通して、自分とは何かを問い続けている。そのプロセス自体が、価値観形成の最も貴重な瞬間です。

以上をもって、肯定側の開会の主張とさせていただきます。


否定側の開会の主張

こんにちは。
私たちは断じて言います。インフルエンサーの影響力は、若者の価値観形成にとって危険な歪みを生んでいる――と。

確かに、インフルエンサーは身近で魅力的です。でも、その背後にあるのは「注目=価値」という危うい等式。そして、それに晒される若者たちの心は、知らず知らずのうちに傷つき、歪められています。

① 「いいね」が価値を決める世界

ある女子高生が言いました。「投稿して5分で『いいね』が100行かないと、消したくなる」。彼女の価値は、もう彼女自身の中にはありません。他人の反応の中にしかない。

ここに、最大の問題があります。インフルエンサーは「自分らしく」を謳いますが、その裏で「自分らしさ」さえもが、パフォーマンスになっている。まるで、カフカの「城」のように、見えない評価システムに支配され続ける地獄です。

② 完璧な虚像と、崩れる自己肯定感

インフルエンサーの朝は、ヨガ、グリーンスムージー、理想のルームシェア。でも、その90%は演出です。照明、編集、脚本。それを“リアル”と信じた若者が、自分の部屋の散らかり具合や、忙しさに苛立ちを感じるのは当然です。

厚生労働省の調査では、SNS利用時間が長い10代ほど、うつ状態のリスクが高いとされています。これは偶然でしょうか? インフルエンサーは「幸せのテンプレート」を無償で配布し、若者たちはそれに達しない自分を責めているのです。

③ 多様性の名の下に進む“均質化”

「個性を出せ」「自分らしく生きろ」と言いながら、なぜかみんな似たようなカフェで同じポーズをとり、同じキャッチコピーを使う。これが“多様性”でしょうか?

実際には、アルゴリズムが「再生されやすい内容」を選び、インフルエンサーはそれに従う。結果、見た目はバラバラでも、価値観は驚くほど均質化している。多様性の皮を被った、新たな同調圧力です。

④ 倫理よりエンゲージメント

昨年、ある美容インフルエンサーが「医療機関で処方された薬より、このサプリが効いた」と発言。後にそれがスポンサー企業の製品だと判明しました。医学的根拠はゼロ。でも、すでに10万人以上が購入。

インフルエンサーに求められるのは「正しさ」ではなく「面白さ」です。価値観形成の指導者にふさわしい資格も、監督体制もありません。そんな人々に、若者の心の羅針盤を預けてよいのでしょうか?


ここで一つ問いましょう。
もし子どもが「将来はインフルエンサーになりたい」と言ったとき、私たちは心から「すごいね」と言えるでしょうか? それとも、「安定した仕事に就きなさい」と諭してしまうでしょうか?

このジレンマが示すのは、インフルエンサーという存在が、まだ“価値の源泉”として成熟していないということです。

影響力があることは事実です。でも、影響力がプラスかどうかは、その帰結で決まります。今のインフルエンサー文化は、若者に「どう生きるか」ではなく、「どう見せるか」を教えています。

それは、価値観の形成ではなく、価値の喪失です。

以上をもって、否定側の開会の主張といたします。

開会主張への反論

肯定側第二発言者の反論

皆さん、ありがとうございます。

否定側の主張を聞いて、あることに気づきました。彼らが恐れているのは、「インフルエンサー」そのものではなく、若者が他人の評価に振り回されてしまうこと――つまり、SNSの使い方の問題を、インフルエンサーの存在意義にすり替えているのです。

否定側の主張の根本的誤解

否定側は「『いいね』が価値を決める」と言いました。しかし、それはInstagramの機能を責めるようなものです。車があれば事故が起きるからといって、「自動車は移動手段としてマイナス」と言うでしょうか?
もちろん違います。問題は「誰が、どう使うか」です。

インフルエンサーが発信するのは「価値の押し付け」ではなく、「生き方の一つの選択肢」です。それを「正解」と信じ込むのは、受ける側の解釈の問題。そして、その解釈力を育てるのが、まさに学校や家庭の役目ではありませんか?

模範人物の進化:神様から隣人へ

かつて、若者が憧れたのは、首相、ノーベル賞学者、オリンピック金メダリスト――遠くて偉い人たちでした。でも、それって本当に「自分ごと」でしょうか?

インフルエンサーは違います。彼女も朝起きられなくて悩むし、彼も税金の申告でググる。そんな「近くてリアルな模範」こそが、若者の価値観形成に適しているのです。

社会学習理論のバンデューラは言います。「人は直接体験しなくても、他者の行動を通じて学ぶ」と。インフルエンサーは、その現代版の「モデル」です。起業、メンタルケア、サステナビリティ――それらを日常の中で見せることで、若者は「それもアリだ」と価値を見出す。

多様性は“演出”ではなく、“選択の自由”

否定側は「多様性の名の下の均質化」と言いますが、それは逆です。インフルエンサー市場は競争が激しい。だからこそ、わざと“普通じゃない”ことをする人が成功する。

「引きこもり脱出記録」「農村でNFT販売」「ADHDと診断された声優」――これらがアルゴリズムに乗るのは、「珍しいから」ではなく、「共感されるから」です。若者が「自分もこういう生き方できるかも」と思う瞬間、価値観は広がっている。

最後に。
否定側は「インフルエンサーは倫理がない」と言いました。確かに、一部には問題発言もあります。でも、テレビCMよりスポンサー表示が明確な場合すらありますよ?
私たちがすべきは、インフルエンサーを一括りに否定するのではなく、「信頼できる情報源かどうか」を教える教育の強化です。

火の危険性を教える前に、火を使わせないのは、成長の機会を奪うことです。

以上です。


否定側第二発言者の反論

こんにちは。

肯定側はとても美しい話をされました。「灯台」「公民教育」「批判的思考のトレーニング場」……まるでインフルエンサーは21世紀の哲学者のようです。

しかし、私たちは現実を見ましょう。インフルエンサーの多くが、月50万円稼ぐために、毎日4時間編集している事実を無視して、どうやって教育的価値を語れるでしょうか?

理想論と現実のギャップ

肯定側は「多様な生き方を見せてくれる」と言いますが、その多様性は、どれだけの若者にとって“参考になる”のでしょうか?

「北海道で薪ストーブ暮らし」「年収1億円の副業術」――これらは魅力的ですが、多くの若者にとっては「見て楽しむ物語」でしかない。むしろ、「自分には無理」と諦めを生む方が早い。

厚生労働省の調査では、10代の3人に1人が「SNSでの比較で自己肯定感が下がった」と回答しています。これこそが、肯定側が無視している現実の重みです。

多様性の“演出”としての側面

「個性を出せ」と言いながら、なぜかみんなが同じカフェで同じドリンクを手にしている。これは偶然でしょうか?
いいえ。アルゴリズムが「再生されやすいコンテンツ」を選び、インフルエンサーはそれに従う。結果、見た目の多様性の中身は、驚くほど同じ価値観――「外見」「消費」「承認」――で満ちています。

肯定側は「批判的思考が育つ」と言いますが、15秒の動画を見て「この人信用できるか」を判断するなんて、大人でも難しい。ましてや、脳の前頭前野がまだ発達途中の若者に、それは酷な要求です。

リテラシー以前の問題:心の疲弊

最も重要な点をお伝えします。
リテラシーは、心が健康な状態で初めて育つものです。

うつ傾向のある若者が、インフルエンサーの完璧な生活を見て「自分はダメだ」と感じているときに、「ちゃんと情報を精査しようね」と言っても意味がない。まず必要なのは、心の安全地帯です。

インフルエンサー文化は、無意識のうちに「常に発信し続けなければならない」というプレッシャーを若者に与えています。ある中学生はこう言いました。「友達が全部投稿してるから、自分だけ黙ってたら居場所がなくなる気がする」。

これって、価値観形成と言えるでしょうか?
むしろ、価値の喪失――「自分の内面よりも、外からの反応が大事」という歪んだ価値観の刷り込みではないでしょうか。

結論として。
インフルエンサーがすべて悪いとは言いません。でも、その影響力が「プラス」とされるには、規制・教育・プラットフォームの改革が不可欠です。今のままでは、若者の価値観は「どう生きるか」ではなく、「どう映るか」に支配され続けるでしょう。

そのリスクを無視して「プラス」と断ずるのは、あまりにも楽観的すぎます。

以上です。

反対尋問

肯定側第三発言者の質問

肯定側の反対尋問の内容と否定側の回答

肯定側第三発言者(冷静に、しかし鋭く):

「まず、否定側第一発言者へ。御方の主張では、インフルエンサーの影響は『価値の喪失』だと述べました。ではお伺いします――もしすべてのインフルエンサーが消滅したとして、若者の価値観は自然に健全になるのでしょうか?テレビ、広告、学校、親――それらのメディアや権威もまた、均一的な価値観を押しつけてきませんでしたか?」

否定側第一発言者(落ち着いて):

「いいえ、そうは思いません。インフルエンサー以外にも価値観形成の場はありますが、インフルエンサーの問題は、それが『双方向的』かつ『感情的に近い』存在である点です。信頼して見ている‘仲間’のような人が完璧な生活を見せれば、その影響は従来のメディアより深くなる。だからこそ危険なのです。」


肯定側第三発言者(少し微笑んで):

「次に、否定側第二発言者。先ほど『リテラシーは心が健康でなければ育たない』と。非常に共感できる主張です。では質問します――インフルエンサー以前に、学校教育でメディアリテラシーやメンタルヘルス教育が不十分だったことを、インフルエンサーのせいにしているのではありませんか?」

否定側第二発言者(少し語気を強めて):

「責任転嫁とは違います。問題は、インフルエンサーが『教育現場の穴』を加速させている点です。テレビは規制があるが、SNSにはない。誰もが‘先生’を名乗れるこの環境で、教育の遅れが致命傷になっているのです。」


肯定側第三発言者(挑むように):

「最後に、否定側第四発言者。御方は、インフルエンサーの多様性は『アルゴリズムによる均質化』だと。では、同じカフェで同じドリンクを撮影する若者がいるとして――その行動の背後にあるのは、インフルエンサーへの憧れですか? それとも、単に『承認欲求』という人間普遍の心理ですか?」

否定側第四発言者(慎重に):

「両方です。人間の心理を悪用するからこそ、問題です。インフルエンサーはその心理を知り尽くし、意図的か無意識かに関わらず、『こうすれば注目される』というテンプレートを提示しています。それが現代の同調圧力の正体です。」

肯定側反対尋問のまとめ

以上の回答から明らかなのは、否定側が「インフルエンサー」という存在を、あたかも社会の歪みの根源であるかのように描いていることです。

しかし、彼らの回答を整理すると――
- 第一発言者は「インフルエンサーは特別に近い存在」と認め、つまり影響力の強さ=悪ではないと暗に示しました。
- 第二発言者は「教育が足りない」と言い、これは原因の所在がインフルエンサーではなく制度側にあると暴露しています。
- 第四発言者は「人間の心理を悪用」と言いましたが、それは芸術でも政治でも同じ。であれば、インフルエンサーだけを悪とするのは不公平です。

結局、否定側は「火が怖いから薪を禁じろ」と言っているようなものです。私たちがすべきは、火の使い方を教えることであり、灯を消すことではありません。

以上です。


否定側第三発言者の質問

否定側の反対尋問の内容と肯定側の回答

否定側第三発言者(静かに、しかし重みを持って):

「まず、肯定側第一発言者へ。御方は『インフルエンサーは多様性の灯台』と述べました。では聞きます――あるインフルエンサーが『毎日5万円の美容液を使えば、人生が変わる』と発信したとき、それが‘多様な価値観’と言えるでしょうか?」

肯定側第一発言者(迷わず):

「その発言自体は問題があるかもしれませんが、視聴者がそれを‘唯一の正解’と受け取るかどうかは、その人の判断力次第です。多様性とは、そうした情報さえも含めて、自分で選ぶ自由があること。灯台は一つではなく、いくつも光っているからこそ、羅針盤が機能するのです。」


否定側第三発言者(少し皮肉を込めて):

「次に、肯定側第二発言者。御方は『インフルエンサーは近くてリアルな模範』と。では質問します――その‘リアル’が90%編集されていたら、それは欺瞞ではないですか? 子どもが‘あの人は毎日ヨガしてる’と思って真似しようとしても、そもそもやってないのなら、何の教育的価値があるでしょうか?」

肯定側第二発言者(冷静に):

「完全なリアルを求めれば、テレビドラマも虚構ですね。重要なのは‘表現の意図’です。多くのインフルエンサーは‘これが私のベストバージョン’と明言しています。それを鵜呑みにするのは問題ですが、それ自体が価値形成の一部――‘理想とのギャップ’を感じることが、成長の出発点になることもあるのです。」


否定側第三発言者(鋭く):

「最後に、肯定側第四発言者。御方は『批判的思考が育つ』と。では、15秒の動画を見て、スポンサー関係や医学的根拠を判断できるのが‘普通の10代’だと言える根拠はどこにありますか? 神経科学的には、前頭前野の発達が25歳前後まで続くとされていますよ?」

肯定側第四発言者(落ち着いて):

「確かに、全員が完璧に判断できるわけではありません。しかし、それが‘学ばない理由’にはなりません。小学校で割り算を教えるとき、‘まだ脳が発達していない’と諦めますか? 教えるからこそ、発達するのです。メディアリテラシーも同じです。」

否定側反対尋問のまとめ

ありがとうございます。非常に理論的で誠実な回答でしたが、そこにこそ、肯定側の根本的な楽観主義が浮き彫りになりました。

  • 第一発言者は「視聴者が判断すればいい」と。しかし、それができない若者が実際に心を病んでいる現実を、どのように説明するのか?
  • 第二発言者は「虚構も教育的価値がある」と。ならば、嘘つきの物語も価値観形成にプラスと言えるのでしょうか? どこまでが許容範囲なのか、線引きがありません。
  • 第四発言者は「教えれば育つ」と。けれど、今、日本の学校にメディアリテラシーの時間はどれだけありますか? 教える土俵すらないのに、“努力不足”を若者に押し付けるのは傲慢です。

肯定側は“可能性”ばかりを語りますが、私たちは“帰結”を見ています。灯台の光が美しいのは確かです。でも、その光に魅せられて岩に乗り上げる船が増えているなら――少なくとも、灯火の管理責任はあるはずです。

以上で、否定側の反対尋問を終わります。

自由討論

肯定側第一発言者:
否定側さんが「心の安全地帯」が必要と言われましたが、それは逆ではないでしょうか?昔のテレビ世代は、自分と遠い有名人を見て「自分には無理」と諦める傾向が強かった。インフルエンサーは「あなたにもできる」という希望を与えている。問題はインフルエンサーではなく、私たちの教育がSNS時代に追いついていないことです。

否定側第一発言者:
安全地帯がない状態で「批判的思考を育てる」というのは、水泳を教える前に深いプールに放り込むようなもの。厚生労働省のデータでは、10代の32%が「SNSで自己肯定感が下がった」と回答しています。これは単なる「教育不足」で片づけられる問題ですか?

肯定側第二発言者:
データは重要ですが、解釈も重要です。その「自己肯定感が下がった」若者たちは、何と比較しているのでしょう? インフルエンサーではなく、自分の中の理想像と比較しているのではないですか? インフルエンサーは単なる「きっかけ」に過ぎません。

否定側第二発言者:
きっかけが危険なら、それは危険ですよ。例えば、ある美容インフルエンサーが「1ヶ月で10kg痩せた」と発信。その裏で1日500kcalしか摂取していなかった。これが「希望」ですか? 現実逃避の手引きではないでしょうか。

肯定側第三発言者:
では逆にお聞きします。テレビCMで「モデル体型が美しい」と繰り返し見せられるのと、どちらが危険ですか? 少なくともインフルエンサーにはコメント欄があります。間違いを指摘できる双方向性が昔のメディアにはなかった利点です。

否定側第三発言者:
双方向性が必ずしも良くないこともあります。先ほどのダイエット動画、コメント欄には「すごい」「私もやってみる」の嵐。批判的コメントは「妬み」として無視される。これがアルゴリズムによる同調圧力の強化です。

肯定側第四発言者:
アルゴリズムの問題をインフルエンサーのせいにするのはおかしい。それはYouTubeやTikTokといったプラットフォームの問題です。私たちはインフルエンサーそのものの価値を議論している。彼らは新しい時代の語り部です。

否定側第四発言者:
語り部が嘘をつくなら、それは害悪です。ある10代が「インフルエンサーの推奨する高額サプリを買うためにアルバイトを増やし、学校の成績が落ちた。これが‘価値観形成’ですか? 価値の混乱です。

最終陳述

肯定側最終陳述

皆さん。

このディベートを通じて、私たちは何度も同じ問いに向き合いました。「インフルエンサーの影響力は、若者の価値観形成にプラスか?」

否定側は言いました。「いいね」が価値を決めてしまうと。虚像に心が傷つくと。アルゴリズムが多様性を偽装していると。

でも、私たちが本当に問わなければならないのは――
「インフルエンサーが悪いのか?」
それとも
「私たちが、新しい時代の価値観の育て方をまだ知らないだけなのか?」

影響力の本質は中立である

火を使えば家を焼くかもしれない。でも、火がなければ文明は生まれなかった。
インターネットがなければ情報格差はもっと広がっていたかもしれない。
テレビがなければ、地方の声は届かなかったかもしれない。

インフルエンサーも同じです。問題は「火があること」ではなく、「どう使うか」です。
否定側が恐れている“他人の評価に振り回される若者”――その背景にあるのは、SNSの仕組みでしょうか? それとも、“自分とは何か”を語る機会が、学校にも家庭にも足りないという現実でしょうか?

教育の遅れを、インフルエンサーのせいにするな

若者がインフルエンサーを見て「自分はダメだ」と感じるなら、まず必要なのは「見なさい」という禁止ではなく、「どう感じた? なぜそう思う?」と問いかける対話です。
メディアリテラシー教育が遅れているからといって、情報を遮断していい理由にはなりません。

昔、テレビゲームが「子どもを暴力的にする」と言われました。だからといって、ゲームを捨て去ればよかったのでしょうか? いいえ。私たちは、ゲームをどう使えば創造的になれるかを学んできたのです。

今、同じ転換期に私たちは立っています。
インフルエンサーは、若者にとっての「現代の語り部」です。彼女が起業して失敗を告白する動画を見た高校生が、「俺も挑戦してみよう」と思ったら――それは、価値観の混乱ではなく、希望の誕生です。

羅針盤は、鏡を通してしか見えない

最後に、一つの物語を紹介します。
ある引きこもりだった17歳の少年が、YouTubeで「うつと向き合う毎日」を発信するインフルエンサーの動画を見て、初めて「自分の苦しさに名前がついた」と気づいたそうです。そして、保健室登校を始めました。

この少年にとって、そのインフルエンサーはただの有名人ではありませんでした。
自分という存在に、価値があるかもしれない――その最初の一歩をくれた、羅針盤そのものでした。

だからこそ、私たちは言います。
インフルエンサーの影響力は、若者の価値観形成に――
プラスである

火を恐れるのではなく、灯りをともす方法を教えましょう。
鏡を壊すのではなく、その中に映る“可能性”を、一緒に確かめましょう。

ありがとうございます。


否定側最終陳述

皆さん。

肯定側は美しく語りました。「灯台」「語り部」「希望の羅針盤」……まるでインフルエンサーは、21世紀のソクラテスのように。

でも、私たちは現実を見なくてはいけません。
ある女子高生が、夜中にスマホの明かりだけで泣いていた。
「友達全員がストーリーを上げてる。私だけが、何も起こってないように見える」。

これは、灯台の光でしょうか?
それとも、自分を照らし出して苦しめる、冷たいスポットライトでしょうか?

影響力の質が問われている

私たちは「インフルエンサー全員が悪」と言っているわけではありません。
問題は、その影響力が、若者の内面ではなく、外側の反応に価値を置く文化を助長していることです。

「いいね」が少ない=価値がない。
完璧な朝食の写真=理想的な人生。
再生数が伸びない=生き方に意味がない。

これが、価値観の形成なのでしょうか?
いいえ。これは、価値の交換です。感情をコンテンツに変え、自己をブランドに変える――そんな世界で、若者は「どう生きるか」ではなく、「どう映るか」を学んでいます。

多様性の皮を被った同調圧力

肯定側は「多様な生き方を見せてくれる」と言いますが、その多様性の中身は何ですか?
「北海道の田舎暮らし」も、「ADHD公表YouTuber」も、結局は「注目を集めるための戦略」になっていませんか?

アルゴリズムは「共感される内容」を選ぶ。インフルエンサーはそれに従う。若者はそれを“リアル”だと信じる。
結果、見た目はバラバラでも、価値観はすべて「承認・消費・可視性」に収束しています。

これこそが、現代の同調圧力です。
かつては「皆と同じ服を着なさい」と言われた。今は「自由に着なさい」と言いながら、「でも、投稿されないと存在しない」と暗黙のプレッシャーをかける。
より巧妙で、より深い支配です。

教育以前の心の安全地帯

最も大切なことをもう一度言いましょう。
リテラシーは、心が安定しているからこそ育つのです。

うつ傾向のある若者が、完璧なライフスタイルを見て「自分は劣っている」と感じているときに、「ちゃんと調べなさい」と言っても意味がありません。
まず必要なのは、SNSから降りても安心できる場所――心の安全地帯です。

インフルエンサー文化は、無償で情報を与えるふりをしながら、若者に「常に発信し続けろ」というメッセージを送っています。
沈黙は存在の否定。休むことは脱落。
そんな世界で、本当に健全な価値観が育つでしょうか?

私たちが守るべきもの

最後に。
もし、あなたの子どもが「将来、インフルエンサーになりたい」と言ったら――
あなたは、「すごいね」と笑顔で言えますか?

多くの親が、一瞬 hesitation(ためらう)するでしょう。
なぜなら、私たちは知っている。インフルエンサーという職業が、どれほど不安定で、心をすり減らすものかを。

だからこそ、私たちは断言します。
今のままのインフルエンサー文化が、若者の価値観形成にプラスであるとは言えない。

変化が必要です。
プラットフォームの透明性、スポンサー表示の徹底、学校でのメンタルヘルス教育、アルゴリズムの公共性の確保――
それがあって初めて、「インフルエンサーも価値観形成に貢献できる」と言える。

今はまだ、その段階にありません。

だから、私たちは――
否定します。

ありがとうございます。